北海道喉頭摘出者福祉団体 北鈴会

西澤医師-10


「聴覚と音声の生理学シリーズ」

第10章 喉頭摘出術とは



聴覚と音声に関する記載を一段落させ、今回からは、無喉頭音声に関する少し専門的な事柄を述べていきたいと思います。まず喉頭全摘出という手術操作が、人間の機能にどのような影響を与えるかについて考えてみます。

機能的側面からみた喉頭全摘出手術正常喉頭の生理的機能は以下のように整理されます。
1.上気道と下気道の境界に位置し、気道を確保する(呼吸機能)
2.食物の気道内への誤嚥を防止する(嚥下機能)
3.発話において原音を生成する(発声発語機能)

喉頭全摘出術は、気管、咽頭と喉頭との連絡を切断して喉頭組織を摘出する操作でといえます。単純喉頭全摘出術における通常の切除範囲は、喉頭下では第2〜5気管輪の間、喉頭上においては前方は舌骨の高さ、後方は披裂部上縁となります。病変が単純喉頭全摘出術の切除範囲をこえて進展している場合、切除の範囲を必要に応じて上下へ拡大する(拡大喉頭全摘出術)。
喉頭の摘出に伴い、前頸筋群は切除されます。喉頭全摘出術後の組織欠損再建では、気管の出口を前頸部に永久気管口として開口させて気道を確保し、下咽頭に出来た粘膜欠損を塞いで食物の通路を確保する(気道食道分離)ことが行われます。切除が比較的小さい範囲にとどまるときは、粘膜断端を単純に縫合するだけで再建は可能でありますが、拡大手術を行った場合など切除範囲が大きくなると、粘膜端々縫合だけでは欠損部を塞ぐことができず、自家組織を移植して欠損部を補う必要が生じます。有茎筋皮弁、遊離皮弁、消化管による再建等が必要に応じて選択されます。

術後、喉頭の生理的機能のうち、呼吸と嚥下は気道と食道を分離することで再建され、発声機能は一次的には失われることになります。従って、原疾患の管理がなされ、気道食道分離が手術的に成功した後は、音声再獲得が喉頭全摘出術後患者のQOLにおける最も重大な問題となります。ここに喉頭全摘出後の音声リハビリテーションの必要が生じたということです。このように考えてきますと、無喉頭音声とは、喉頭原音以外の音を音源とする発話のことであり、通常喉頭全摘出術後に獲得された音声と定義することができます。

過去にはじめて喉頭全摘出術に成功したのは、ビルロート(Christian Albert Theodor Billroth)というドイツの外科医でありました。ビルロートは喉頭摘出の他にも、胃癌の切除に始めて成功した人として有名で、作曲家ブラームスの友人であったことも知られています。ビルロートによる喉頭全摘出術の最初の成功例は1873年にウイーンで行われた、と弟子のグッセンバウアーが記載しています。この最初の症例に対して早くも、グッセンバウァーの考案による振動膜付きの気管カニューレが音声機能再建を目的として使用されたことは注目に値します。(Gussenbauer C:Ueberdie erste durch Th.Billroth am Menschen ausgefuhrte Kehlkopf-Extripation und die Anwemdungeineskunstlichen Kehlkopfes. Arch. Klin.Chir. 17:343-356,1874.) この気管ロカニューレは通常の気管開口部のほかに呼気を咽頭口腔に導くチャンネルと、呼気によって振動し、音源となるリードをもち、さらに誤嚥防止のための一方向弁を備えていました。

喉頭全摘出後の機能再建においては当初から音源の再獲得ならびに生成された原音の口腔咽頭への導入と同時に、気道防御機能への配慮がなされていたことが伺われます。その後、グッセンバウァーの理念は、一方では音源を人工的に生成して構音器官に伝達する方法すなわち人工喉頭音声へ、他方では原音生成の駆動カとなる呼気を口腔咽頭に導入するための逆流防止弁付き音声プロテーゼによるシャント音声へと発展して今日に至っています。