北海道喉頭摘出者福祉団体 北鈴会

形浦昭克教授31


30年過ぎし、いま

札幌医科大学医学部耳鼻咽喉科

教授 形浦昭克




「北鈴会」が誕生して30年の歳月が流れ、ここに活躍の足跡を記することは大きな感動をおぼえるものである。すでに25周年を記念して、「北の鈴」第七号にその想いの一端を綴ったのが昨日のごとく思い起こされるが、今ここに30年間のその想いをはせることにした。

大学を卒業して何もかもが新しいインパクトで私の身体におおいかぶさる連日は、無我夢中の日々であった。ただ身体を動かすよりほかになかった様に思われる。5年の研修期間が過ぎ、大きな手術に参加できる様になったあるとき、先輩から「北鈴会が大学内で発足するので、手伝うように」と言われたことから始まった気がする。

その当時、福田助教授が中心となって全国の銀鈴会などと並んで新聞紙上にも大きく報道されたものである。発足当時の伊藤会長は、人工喉頭を主としてコミュニケーシヨンを持たれ、非常に穏やかで紳土的な方であった。大学病院内での会は活気に満ちていた。何とか少しずつでもお手伝い出来ないものかとただ一生懸命だったことを覚えている。やがて福田先生が大学を去られ、大野恒吉先生が中心になりお互いに頑張ってきた。当時、医師が少なかったこともあり、参加される先生方が余りおられなかったのは残念でいたしかたなかった。

大野先生が開業され、不肖私が受け継いだのは昭和51年からだと思う。その前から今は亡き伊藤さんから中村会長へと引き継がれ、種々の打ち合わせのために何回か足を運ばれたことは、懐かしい思い出となり忘れることはできない。その間に大学病院の小さな実習室では収容できず、病院会議室へと移り、その後、病院外で催されることとなり今日に至ったのである。

今日まで食道発声教室を充実された中村さん、そして温泉会長を初めとする指導者の並々ならぬご努力には敬意を表するもので、このことはすでに「北の鈴」第七号に述べた如く、今日の素晴らしい成果を生み出したと一言える。この間に沢山の思い出が私の脳裏を過ぎていくが、何回か、医学部学生の教育実践に体験をお話していただいたことは、非常に感動であり、これから良い医師に育っていくための、卒前教育の一コマとして有意義な事であった。感謝の気持ちで一杯であるとともに、いつも手術後の患者さんに一対一で接し行動されるには頭が下がる思いであった。このことは卒業教育および看護教育にとって最も新鮮なものとなった。

今、私自身振り返ってみると、「北鈴会」には初回から28回までは共にその総会に参加させていただいた。昨年と本年は、はからずも私が関係する会合が優先され、調整がつかず参加できなかったことは、誠に残念であった。教室の朝倉助教授が会員の方と接することが出来たのは嬉しく思った。

さて、私にとって忘れ得ないことというか、緊張の瞬間であったのは、総会における講話のことである。当時、若かった私ごときが人生の大先輩に対して、はたして講話というものが出来るのかと、毎年春を迎えて総会の期日を相談される度に冷や汗をかかざるを得なかった。どんな講話をすると良いのであろうかと、その前日は幾たびとなく悩み続けたことを思い起こすのである。病気の話しについてはそのあとに必ず質問の時間があるわけだし、難しい話しではただ時間の無駄であるし、あまり関係のないことでは…と、悩み続けたものである。そうして、そのとき感じたことを随筆として書くことは、私にとってもあまり苦にならずにできたのは事実かも知れない。そのなかの一部を「北の鈴」に何度か投稿してきた。「北の鈴」が会員の方の親睦機関誌として発行することが実現し、その創刊号は私にとって素晴らしい思い出があった。会員の方の継続する力が脈々と続けられ、さらに幅広く短歌などの分野にわたった今日、ただ敬服する以外の何もない。大きな財産であるといえる。そうして、その講話のなかには、沢山の思い出が刻まれるが、本を読み、講演を聞き、人との会話のなかから、自分自身の体験、そしてこんなことが出来たらと、いつも年がいもなく若さだけが前進していた講話であつたように思う。そのような素晴らしい機会にお話を出来たことから、その幾つかは、エツセイとして記録したのである。それから幾つかを拾ってみると、コミュニケーションとしての手話について、決して一方的におしつけるものでなく、人との出会いにおけるその行動をみんなが出来るようにならないか。また、いま変わりつつある医学教育のなかで心の教育はどうあらねばならないか。さらにはこころ暖まる医療としての終末期医療はいかに問われているのだろうか…、など。ある時は、五味川純平著の「人間の条件」や、倉本聡著の「北の国から」などに触れたように思う。何となく恥ずかしい思いが私の心をよぎるが、ただ一年ごとにお会いする会員の方々との出会いのなかから若さをよみとり、私のものに吸収したかったからである。だからこそ、サムエル・ウルマンの「詩と書翰」(宇野収文、作山宗久訳、TBSブリタニカ)から青春の一節を思い起こすのである。『青春とは人生のある時期ではなく、心の持ち方をいう。薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな肢体ではなく、たくましい意思、ゆたかな想像力、燃える情熱をさす。青春とは人生の深い泉の清新さをいう60才であろうと、15才であろうと人の胸には驚異に魅される心、おさな児のような未知への探求心、人生への驚異の歓喜がある。」が、今でも好きであり、ここにその一部を引用させていただいた。30年の「北鈴会」を迎えたいま、その歴史のなかに滔々と流れるエネルギーとともに発展し飛躍していくことを祈って止まない。

最後に鈴木さん、そして現在の茂手会長へと受け継がれた「北鈴会」が、役員の皆様の卓越せる指導のもと、会員の親睦団体として、より大きな輪となって広がることを願って、ここに筆を置くこととする。