北海道喉頭摘出者福祉団体 北鈴会

和田医師31


創立五十周年に寄せて!


北見赤十字病院・頭頸部耳鼻咽喉科

医師 和田哲治




北鈴会のみなさま、こんにちは北鈴会創立50周年になるとお聞きしました。

半世紀を越えることとなり、まずは、お祝いを述べたく思います。おめでとうございます。私は、今年52歳になりますので、私が満2歳の頃に誕生した事ということになりますね。お互いに、無事に年月を重ねることが出来たようで、なによりです。

創立当事と比べますと、喉頭を温存して頭頸部癌の治療できる方がおおくなったかと思います。それでも喉頭全摘が必要となる方は今後もなくなることはないでしよう。

音声機能喪失という状況となり、社会から取り残されるような孤立感というのは疾患以上の苦悩になると想像されます。精神的な苦悩に耐えられない方もいらっしゃいました。喉頭を失う方々にとって北鈴会の人達の存在は大変心強いものと思います。私たち医療に携わる者としても頼もしく、ありがたい組織と感じております。今後もなんらかでもお力になれればと感謝致しまして医師としても精進したいと存じます。

さて、医学的な内容をとも思いましたが、地方の臨床医が特に学術的なことも書けそうにないので、子供の頃がどのような世であったかを思い出しながら50年を追想してみました。めまぐるしい変化が起きていたのだと改めて感じています。

子供の頃には外食なんかはめったに行けず、ラーメン屋に行くのは結構なご馳走でした。デコレーションケーキという具体的にはわからないケーキが憧れでした。マグロなどは正月にしか食べたことがなく、寿司と言えば生ではない、ちらし寿司でした。いつか生鮨を腹一杯食べられるようになりたいと思っていました。今ではマグロの完全養殖にも成功し、直営店も出ています。北見の回転寿司のトリトンはスカイツリー出店しています。鯨の竜田揚げやべーコンが給食に普通に出ていました。鰻の蒲焼などみたこともありませんでしたが、今ではスーパーで買えます。

レコードは当初ぺらぺらのソノシートでしたが、LPレコードからカセットデッキ・CDとなりました。現在ではCDもあまり買わなくなりました。最近は、カセットテープって何?という若者もいるそうです。

私の父が電気工場に就職した当時は一生の間にバイク一台もてるだろうか考えていたと聞いた事があります。初めての家の車はスバルの初代サンバーの中古車でした。今では、家にハィブリッド車があります。洗濯機には脱水装置はなくて、上下で挟んで絞るローラーがついていました。洗濯物がスルメいかのように出てくるのが面白く見ていました。そのローラーで金属製の歯磨きチューブを搾って最後はほじくって使っていました。今ではソフトチューブの尻尾を振って使えば最後まで使えます。台所には大きなマッチ箱があり、それでコンロに火をつけました。何かの拍子に火が箱に飛び込んだ時にはキャンプファイヤーのように燃えあがってびっくりしたのを覚えています。いつの頃からかガス炊飯器がありました。最近のものは電子炊飯ジャーとなっていて、時間がたっても炊き立て状態です。

記憶にある最初の暖房燃料は石炭です。灰汁を掃除し、石炭を隣小屋から補給する必要がありました。夏には蚊帳を使っていました。初めての石油ストーブはポット式で室内タンクでした。部屋の中を煙突が走っていて、たまに煤掃除をしていました。始めてついた家風呂は木製の風呂でした。ガスコンロで沸かしていました。入浴が毎日になったのは大学の3年生くらいからだと思います。

私は旭川で生まれ育ちました。子供のころの旭川の特殊な記憶としては、くさい茶色の液体をタンクに積んだ車が砂利の道路に噴水のようにそれを撒いていたのを覚えています。何であったかのか不明です。旭川の牛朱別川は工場の廃液で茶色でした。工場の周辺は悪臭が漂っていました。街中でも建物の間で子供に用を足させる親も結構いました。なんだか今のお隣の大国の様です。札幌オリンピックの年に旭川の平和通りが買物公園になりました。全国初のことで実験的な試みであったと聞いています。その後、東京に歩行者天国が出現しましたね。買物公園ができてから街中は、が然きれいになりました。

冬の楽しみはスキーで、スキー靴は足首位までと短いもので、靴も金具も手で締めていました。いまのスノーボードの様です。スキー場は混んでいて、ロッジと言われる建物は木造で、中には荷物が多数置きっぱなしでありました。

どこのトイレも汲み取り式で、農家であった本家のトイレは、おちたらどうしようかと思うような深く大きな穴でありました。便槽はほとんど外と同じなので、気温は外で用を足しているようなものでした。今は公衆トイレでも温水洗浄機付きトイレであったりしてとっても快適ですね。

家に白黒テレビがやってきて、コンバーターなるものをつけないと観られない番組がありました。今や携帯やカーナビでどこでもテレビが観られる様になりました。録画の失敗で残念な思いをしたビデオテープもなくなり、番組表から予約録画して再生も消去もボタン1つです。最近はTVよりもネット上で動画をみる方が多いようです。固定電話は10年待ちといわれましたが、実際には半年待ちでした。初期契約料がとても高かったと記憶しています。大学在学中にはためたお金で表示が4行のSHARPのワープロを買って使っていました。卒後2年目に、今では当たり前のマウスを使うMacコンピューターをみた時は仰天しました。キーボードしかなかったパソコンと違って一気に親近感がわいたものです。

今では年賀状をカラーや写真を混ぜて家庭で印刷できて、コピーもスキャンも1台で3役できます。まだ、使い方が思いつきませんが3Dプリンターも頑張れば買えるほどの値段になりました。

ポケベルを携帯して仕事をしていた時代に、飲食店で電話を借りようと思ったら、貸せる電話はありませんと言われました。そのときに携帯電話の購入を決めました。今年の2月まではスマホはまだいらないと思っていました。妻と娘が先にスマホを買い、GPSも装備されているので旅行には大変便利な情報端末であることを認識し、スマホになりました。ホテルや空港でWi-Fiが使えるようになりましたので大変有効です。

病院のカルテも電子化してきて、手書きのカルテがもうすぐなくなりそうです。外来にいても病棟スタッフとはtodoといわれるメールのやり取りのようなものでかなりの仕事ができてしまいます。

50年という年月は半世紀ですから変わるのは当たり前なのかもしれませんが、今は携帯電話でなくタプレット型PCやスマホなどの情報端末の時代となってしまいました。電話もネットもいつでもどこでもできるようになりました。

人々は音声ではなく文字で大量に情報をやり取りしています。電話よりもメールで会話する時代です。FaXよりもかなり簡単ですよね。なぜか、便利になればなるほど、忙しくなる様な気がします。これからもさらに便利になって、追い立てられるようになるのだと思いますが、時代のツールはある程度使えないと生活もままならない様です。

今は、いろいろなアプリが簡単に手に人ります。ガス漏れや火災などの危険、腐敗した食品のにおいなど検知できるセンサーとスマホをつなぐアプリができたらより安心ですね。ボーカロイドなるなる人口音声技術があり、人口音声で歌うアニメの歌手がデビューしてからかなり時間がたっています。この技術を使うと音声のサンプリングができればその人の音声をそっくりにコピーしてしかも自在に再現できるようです。キーボード以外に音声人力もできるようになりましたが、もし口唇の動きを読み取れるようになれば、これを人力情報とし、スマホを人力端末とし、ボーカロイドと組み合わせれば、流暢な人口音声ができるのではないかと期待したりします。昨年Googleがロボット企業7社を買収しました。先日ソフトバンクがロボット産業に参人すると発表していました。一人に1台、ドラえもんやポケモンのようなロボットを持つ時代をみられるのかなと想像したりもします。電話は10年待ちといわれましたが、実際には半年待ちでした。

これからもいろいろな技術革新が生まれていくと思いますので、これらが福音となるようにお祈りしたいと思います。