北海道喉頭摘出者福祉団体 北鈴会

海野徳二教授31


私見「インフオームド.コンセント」


旭川医科大学耳鼻咽喉科学教室

教授 海野徳二



近ごろインフォームド・コンセントという言葉がはやっている。誰でも耳にしたことがあるだろうと思う。今年の日本耳鼻咽喉科学会では、患者の立場、医師の立場から、という副題をつけて、このパネル.ディスカッションが行われた。患者の代表は三笠宮寛仁親王殿下であった。医師側は佐藤武男先生、中川米造先生で、特別発言として殿下の主治医である海老原敏先生が加わった。佐藤先生については皆さんもよくご存じのことだと思う。聞いていて面白くはあったが、各人によって受け止め方が様々で、解釈が異なっているという感を深くした。英語の和訳は、かなり難しい場合があり、この語もそのようである。特別に研究したわけではないから、私の思い違いもあろうから、皆さんの意見をお聞かせいただきたい。

英和辞書でinformを引くと、「知らせる、報告する、通知する、情報を流す」などと書いてある。informedとなっているから過去分詞で、誰かが知らせたり、報告したりすることになる。この誰かの役割は主に医師である。次にconsentを引くと「同意、承諾、黙諾」となっている。同意をするのには必ず説明があるのが当然のことで、説明も情報もなく、知りもしないことに対しては同意も承諾もできないではないか。何だか分からないことに対してイエスと答えたとしたら、それは命令に服従したか、騙されたかの何れかである。現代は親父の命令でも子供が承知するとは限らない。堂々と反論もする。これを説得するためには、いろいろと説明もし、なだめたりすかしたりもする。それでも、結果がうまくいかない場合は「だまされた」ということになる。

インフォームド・コンセントにはこの「だまされた」が問題となる。最初から騙そうという意図で説明するとしたら、医師ではなくて詐欺師になってしまい論外であるが、アンケート調査によると、医師の説明が理解できなかったという率は意外に高いものである。「分からない点は何でも尋ねて下さい」と云いながら、怖い顔で睨みつけられると、尋ねる勇気はなくなって、「まあ、よろしくお願いします」なんてことになってしまう。これが大部分の実態なので、informed consentが殊更に取り上げられるのであろう。そして、後になってから「言った」「聞いていない」という論争にも発展していくのである。

他人に分かるように話すことは非常に難しいし、他人の話すことを完全に理解することも同じように難しい。「聞き上手」は「話し上手」で、一方通行は有り得ないから、informed consentはinformed consentでもあると思うのだが、いかがであろうか。日本の教育では、医学教育も含めてであるが、話し合いが上手になる訓練は殆ど行っていないのは残念なことである。アメリカの小学校では、生徒の評価の欄に、participation(参加、加人、協同)という項目があるそうである。つまり、小学校時代から集団に参加し、周囲の者たちの意見も聞き、自分の意見も出し、協同して運営していく訓練を行っているのである。前述した寛仁親王殿下は「一般に、医師は話しが下手である」と仰せられた。「聞き」および「話す」ことの練習は医療に限るわけではない。国際間の交渉がうまくいかず、損な立場にあるのは、ここにも原因があるのではないかと思っている。

ところで、皆さんは喉頭の全摘出術を受けられたのであるが、その時のインフォームド・コンセントはどうであったろうか。説明に不満はなかったか。十分な納得が得られたであろうか。家族とは相談されたであろうか。医師の説明ばかりでなく、看護婦、家族の一員、友人、知人など、あなたの決心に最も強く影響を与えたのは誰であったろうか。例え同じことを言われたとしても、話す人によって、受け止め方は大いに変わってくるのではないかと思う。

「かかりつけ医」という言葉がある。普段から何かあれば診て貰う医師が決まっていて、長い付き合いがあり、その医師も、こちらの家族構成や生活環境や各人の気性をのみこんでいて、頼りになるといった関係である。別に新しい発想ではなく、昔はどこにでもこんな医師はいたものであるが、近ごろは却って少なくなってしまった。こんな関係の医師からinformされたら、consentも出しやすいのではないか。
西洋にも「医師と弁護士の友人を持て」という言い伝えがあるそうである。法律の条文のようなインフォームド・コンセントの取り決めも結構かも知れないが、何でも相談できる「かかりつけ医」は、もっと便利ではないかと思う。