北海道喉頭摘出者福祉団体 北鈴会

佐藤医師31


北鈴会創立50年に寄せて

市立旭川病院耳鼻咽喉科診療部長

医師 佐藤公輝



北鈴会創立50周年、おめでとうございます。

50年といえば半世紀にあたります。連綿と北鈴会の維持発展に尽力されてきた歴代の会長や役員および会員のみなさまの努力には頭の下がる思いです。

さて、50年前(1964年)をウィキペディアで見てみますと、いろいろな出来事が並んでいました。最も大きなイベントは東京オリンピックのようです。「北の鈴」をごらんのみなさまはおいくつだったでしょうか。

1964年に新発売されたという商品にも、今や全国民が知っていると言って良い品々がありました。カルビーかっぱえびせん、ロッテのガーナチョコレート、ロート製薬の目薬Vロート、SBカレーなどなど。どれもこれも今でも人気の商品です。また、今は廃刊になってしまいましたが、平凡パンチが創刊された年とありました。さらに新規開業では、富士山レーダー完成、ホテルニューオータニ、東京プリンスホテル、東京モノレール、帯広空港が開業とありました。富士山レーダーは役目を終えて何年か前に閉鎖されたようですが、今では老舗といわれる2つのホテルともども、帯広空港の歴史もけっこう古いものなのだと少し驚いたしだいです。

で、50年前の医療がどのようなものであったのか、今となってはもうよくわかりませんが、北大医学部の「90年史」には、1970年に手術室で「電気メス事故」があったとか、同年代の北大耳騨科の研究のひとつが扁桃腺の焼灼治療Lであったとか書いてあり、私が医帥になった当時「昔は喉頭全摘も局所麻酔(注射の麻酔一歯医者で抜歯するときにするのと同じ)でやっていた」と言っていた先輩医師の話を思い合わせると、やはり、今ではちょっと驚いてしまうような』医療内谷であったのだろう(そういう部分も少なくなかったのだろう)と思います。

それでは、昔の医療が今より劣っていたのか、というと必ずしもそうとはいえないだろうと思います。50年前でも、とてつもなく手術が上手な腕利きの医師も居たに違いないですし、埋もれてしまった医療技術もあるでしょう。ひょっとするとその歴史に消えてしまった何らかの技術や考え方が再び脚光を浴びる日が来るかもしれません。

突然ながら、戦国時代は今でも日本人に人気の時代でNHK大河ドラマの多くも同時代から題材をとっており、歴女と言われる歴史好き女子の多くが戦国武将好きです。最近は何度目かの城プームだそうで、その城郭や地域で活躍した武将の仮装をした1隊が観光宣伝隊と称してあちこちの城下で活躍しているということです。

戦国時代というと今から500年ほども前の話で、当然のこと、城を作るなどの土木技術は、当時と比べれば現代のそれは飛躍的に進歩しています。比較のしようもない、と言っても良いでしょう。当時の大工が地上30階建ての建物を作れるかと言えばそれはできない相談でしょうし、関門海峡を渡す橋が作れるかといえばそれは無理でしょう。しかし、当時の技術すべてが今より劣っていたと考えるのは間違いのようです。
例えば石垣です。現存する多くの城郭で、石垣を見ることができますが、大阪城や姫路城にあるような石垣作りが現代の技術で可能か?というと、「出来ません」と言いたくなるほど難しいそうです。寺社仏閣の建築修繕に関わる宮大工にしても、当時の状況を真似は出来る(修理はできる)が、その技術や伝統の伝承はかなり難しく、従事者が減っていけばいずれは(修理も)出来なくなると心配する向きもあると言います。

医療技術にも似たような側面はあります。昔よく行われていた外来治療に「通気」という診療技術があります。鼻から管を人れて耳管というところに到達し、そこから耳(中耳)へ空気を送るというものです。おそらく最近の若い耳鼻科医で通気に習熟しているという人は居ないと思います。ほとんどやったことがないという医師が増えているのではないでしょうか。また、扁桃腺摘出手術も今ではすべてが全身麻酔で行われているとい思いますが、私が医帥になった頃は局所麻酔で扁桃腺摘出手術を行っていました。10歳くらいの子供なら局麻で扁桃腺を取っていたのです(私の上の年代の先生方は、5歳から局麻で扁桃腺を取っていたと言います。考えようによっては、当時の子供たちは強かったとも言えますでしょうか)。

では、現代に通気という治療法が必要か?、全麻でできるのに局麻で扁桃腺を取る必要があるのか?、と問いかけられれば、いずれにもノーと答えるしかありません。今の世の中、通気が出来なくても閑ることはあまりありませんし、扁桃腺の摘出を局麻で行う埋由はないでしょう。通気や局麻扁摘ができなくても、現代の耳鼻科医としてちゃんとやっていけます。ですから、それらの治療方法がなくなってもかまわないのですが、ただ、通気という技術、局麻扁摘という技術(コツやノウハウ)は次代には受け継がれない消えてしまう、とは言えるでしょう。戦国時代の石垣作りと同じように、近い将来それらを出来る人が誰も居なくなってしまうのだろうと思います(もっとも石垣作りと同様に、とりあえず現代では居なくなっても困らないわけですが…)。

何かを得るためには何かを捨てなければならない、という人がいます。たぶん、医療の世界にもある程度は当てはまります。ある病気に対する治療法として最も良いと思われる方法が残り、それ以外は徐々に消えていくのでしょう。

第1の方法がうまくいかなかった時のために、治療成績の順に3番目か4番目くらいまでの治療方法が残っていきますが、その3つか4つの治療方法も年代とともにその中身は新しい方法に人れ替わっていきます。

とはいえ、50年前発売のお菓子がいまだに売れ続けているように、長く長く残るモノもあります。むしろ、時代を超えて長く生き残るモノのほうが大事なのだろうと思います。扁桃腺の摘出手術が、局所麻酔から全身麻酔になった、というのは大きな変化ではありますが、扁桃腺は取って治す、という根本的な考え方に違いはありませんので、この点は今も大昔(?)も同じです。

新しいモノがすべて良いとは限りませんし、古いモノのすべてが間違っている(または遅れている)と切り捨てるのも問題かと思います。ただ、長く長く残るモノ・本質的に大事なモノを見極める眼力を身につけるのはそう簡単ではないようです。

まだまだ修行が足りないな、と反省する毎日です。