北海道喉頭摘出者福祉団体 北鈴会

西澤医師-8


「聴覚と音声の生理学シリーズ」

第8章 無喉頭音声の特徴



7回にわたって書いてきました音声の生理学のまとめとして、これからは、喉頭を使う音声と無喉頭音声の比較を行ってみたいと思います。

ことばの韻律にかかわる調節
正常喉頭音声では、単語内でのアクセントや文の抑揚など語音の韻律にかかわる調節の主体は、声の高さの調節です。声の高さは基本周波数(振動数)によって決まります。振動数とはすなわち声帯が1秒間に何周期の早さで振動するか、ということです。声の基本周波数は、内外喉頭筋による声帯の質量や張力の調節と、呼気調節による声門下圧の調節によって主に制御されていると考えられます。代用音声においては、その振動部である新声門の物理的性質を細かく調節する機構が完成されていないため代用音声におけるイントネーシヨンやアクセントの制御は、短時問に大きな基本周波数の変化を必要とするものほど困難を伴う場合が多く、しばしば発話の明瞭度に影響します。

現在繁用されている電気式人工喉頭は基本周波数を調節できるように設計されたものもありますが、この調節は主に使用者の頚部組織と振動子の間の伝達効率を調整するために用いられるもので、発話中は基本的には固定されています。従って声の高さを調節することによる韻律調節は電気式人工喉頭においてはほぼ不可能である。特殊な例として発話中に基本周波数の調節装置を巧妙に操作して文レベルでの抑揚、強調を出し分けることができるものがあるとの報告があります。

一方笛式人工喉頭(タピア)では呼気圧の制御によって振動膜の基本周波数をある程度変化させることができ、英語のイントネーシヨン、日本語のアクセントなどの生成を有効に行うことができる例があることが報告されています。

食道音声やシャント音声など器具を使わない代用音声の発話では、前述のように音源の周期性自体が保証されない場合があり、声の高さ感覚を知覚させることが難しいため韻律の調節が困難な例があります。しかし一方で、食道発声、TEシャント発声いずれにおいても文単位の抑揚を表現できるだけでなく、タイ語、広東語など音調言語(tone language)と呼ばれる言語において、音単位の微妙かつ迅速な基本周波数の調節による音調の区別をある程度有効に出し分けている例が報告されています。これらの代用音声における基本周波数制御の生理的機構は完全に解明されてはいません。少なくともゆっくりとした高さの変化については食道発声者、TEシャント発声者が声の基本周波数を上昇させる場合、振動部直下の食道内圧の上昇とともに振動部を形成する下咽頭収縮筋の活動が増強し、振動部の物理的性質を変化させるという報告があります。このような調節機構を代用音声発話者が単語単位の高速で微妙な韻律調節に用い得るかどうかについては今後の検討を待たねばなりません。

私は、東京銀鈴会の名人と言われる方が小節をきかせて「王将」を歌われるのを聞き、びっくりしたことがあります。これは、私が音声言語医学の勉強を始めたばかりの頃で、無喉頭音声の何たるかを全く分かっていなかった頃でした。シャント音声における声の高さ調節能力については以前皆さんのお力をかりて、かなりの調査をいたしましたが、まだまだ分かっていないことが多いです。電気喉頭での高さ調節は、いまでも工学系の研究者の重要な研究課題です。