北海道喉頭摘出者福祉団体 北鈴会

医療大学32


食道発声事始




北海道医療大学心理科学部言語聴覚療法学科

教授 西澤典子




 以前 犬山征夫先生この話題をとりあげておられましたが、今回は食道発声の歴史にっいてすこし振り返ってみたいと思います。
 外科学の歴史のなかではじめて喉頭全摘出術に成功したのは、ビルロート(Christian Albert Theodor Billroth)というドイツの外科医でありました。ビルロートは喉頭摘出の他にも、胃癌の切除に始めて成功した人として有名で、作曲家ブラームスの友人であったことも知られています。ビルロートによる喉頭全摘出術の最初の成功例は1873年にウィーンで行われた、と弟子のグッセンバウアーが記載しています。

 ビルロートの手術後からまもなく、喉頭全摘出術後に音声を自然に再獲得する患者さんが存在することについての症例報告がみられるようになりました。その最初の報告は ストリュービング(1888年)によるものと言われています。ストリュービングは喉頭摘出後に再建された食道の入り口付近を通過する気流によって音源が作られるらしいと述べていますが、振動部位や気流生成の仕組みについて詳しいことはわかっていませんでした。その後、喉頭癌の治療として喉頭全摘出術が広く行われるようになり、術後の音声リハビリテーションが注目され、食道音声についての載とその機構の研究が始まったのは1920年代と考えられます。このころになりますと、食道音声の振動源が下咽頭食道入口部にあることが指摘され、新声門、あるいは PEセグメントという名称が用いられるようになりました。その後透視動画の解析を用いたディードリッヒらの研究によって、食道音声の音源が特定され、発声に際しての食道内への空気の取り込みと取り込まれた空気の口腔内への再流入による発声の過程が明らかにされるに及んで、食道音声の原理と獲得のための方法論は一応の体系化をみたといえます。

 食道音声はその獲得に訓練を必要とし、必ずしも容易な方法ではありませんが、利便性と音声の自然で明瞭な品質から、喉頭摘出後の音声リハビリテーションにおいて重要な位置を占めていることは、今も昔も変わりません。欧米諸国においては言語聴覚士による臨床場面での指導がひろく行われています。日常会話に食道音声を用いることができるようになる成功率は報告によって異なり30〜40%とするものから80%という報告もあります。わが国では歴史的に喉頭全摘出後の音声リハビリテーションは喉頭摘出者自身による篤志的な活動によって支えられてきました。この背景には第二次世界大戦後まもなく阪喉会、銀鈴会をはじめとする喉摘者団体が各地に結成され、代用音声に関する啓発活動を活発に行った実績かおる一方、医療言語療法士の国家資格制度の整備が遅れ、この分野への医療の進出が大きく立ち後れた現実があることは否定できません。最近では一部の医療機関で喉頭摘出後早期から言語聴覚士による食道音声を含めた代用音声の臨床的な指導が行われ、効果をあげております。一方、病院を離れて地域で生活する患者さんが多数いることを考えると、とくに北海道における喉摘者団体の活動は、食道発声の指導にとどまらず、術後患者さんのコミュニティとして、また、シャント発声、人工喉頭音声の普及、福祉領域への展開など、ますます重要になってきていることは言うまでもありません。