北海道喉頭摘出者福祉団体 北鈴会

札幌医大32


「監視カメラにスイッチが入っていない?」




札幌医科大学医学部耳鼻咽喉科

教授 氷見徹夫




 北鈴会の皆様、いつも手術後の会員の方々をご指導いただきありがとうございます。また、日ごろの訓練でより多くの成果が得られますよう祈念いたしております。

 昨年の本誌で「がん組織は社会の縮図である」と述べました。つまり「がんの撲滅の手法」は「世の中をよくするにはどうしたらよいか?」という命題に似ていて、「極めっきのワル(がん細胞)を捕まえるのが先だ」という考えと「ワル(がん細胞)が育つような環境を改善することが先決だ」の二つの方法があるとお話ししました。がんの免疫療法の分野でもこの二つの方法と類似のものかおり、昨年より新たな治療法として使えるようになりましたので、少し触れてみたいと思います。
 「がん免疫療法」には大きく分けて「ペプチドワクチン」「免疫細胞治療」「抗体治療」の3つがあります。この中で「ペプチドワクチン」はがん細胞にだけ認められる目印(抗原ペプチド)に対する抗体をワクチンにより体の中に作り、がん細胞に印をつけることで攻撃し易くするものです。社会に置き換えれば、泥棒に「泥棒」の名札を張り付け、警官が捕まえ易くするという方法です。このがんのペプチドワクチン療法は札幌医科大学の病理学教室が得意とする分野で、実際に臨床研究も始まっています。
 「免疫細胞治療」はがん細胞を攻撃する細胞を患者さんから取り出して、数を増やし攻撃力を強めて体の中に戻すという方法です。つまりワルを撲滅するため警官を増員し、攻撃力のある武器を携帯させ現場に向かわせるという手法です。
 「抗体治療」にはたくさんの種類がありますが、現在、頭顛部癌で使われている「抗体治療」は、がん細胞が増殖するために必要な信号を受け取る場所を、抗体によってブロックするという原理を応用しています。セツキシマブ(商品名一アービタ。クス)はこの作用でがんの増殖を抑えるとともに、攻撃力の強い免疫細胞を呼び寄せる作用もあるため効果があると考えられています。

 さて、ここまで述べたがん免疫療法は「ワル(がん細胞)自身に作用する」を基本としています。昨年の本誌で述べたように、がんという病気では「環境の変化によりワル(がん細胞)が育つ」メカニズムが重要と再認識されてきました。特に免疫療法にとってがんを「がんとして認識できる」環境は重要で、環境(免疫監視)が弱くなればワルを確実に捕まえることができません。従来の免疫療法の限界の一つはこの点であったため、環境(免疫監視)づくりに焦点を当てた治療法が必要とされてきました。昨年、「がん免疫逃避機構」の解析から生まれた新しい抗体治療が(頭頚部癌はまだですが)承認され使えるようになりました。

 がん細胞はある意味では体の中の「異物」ですから、ある条件下では免疫の力によって排除できるはずです。ところが、がん細胞には免疫監視細胞から出される攻撃の指令を弱めてしまう働きがあることがわかってきました。つまり、がん細胞は「免疫逃避機構」によって攻撃から守られているのです。そうすると、「がん細胞の免疫逃避機構を弱めてしまえば、免疫力が復活して治療に応用できるかもしれない」という発想は当然生まれてくるはずです。さらに、このがん細胞が免疫から逃れるという免疫機構を起こす分子(免疫チェックポイント分子)が発見されたため、この発想が現実化したのです。

 すなわち、がん細胞の「免疫逃避機構」の免疫分子(チェックポイント分子)を抗体によって阻害し、免疫監視カメラのスイッチを入れることにより、がん細胞を攻撃するのです。免疫から逃げるワル(がん細胞)のまわりの環境(免疫監視)を変えることにより、自己防衛力の弱い、攻撃されやすいがん細胞に変身させるのです。この意味からこの治療法は従来の方法と異なった患者さん自身が持つ本来の免疫力を復活させるという第二の抗体治療として注目されています。正しい例えではないかもしれませんが、いわばワルの近くにあった「スイッチの切られていた監視カメラ」を働くようにするということかもしれません。

 がんの治療法は手術も含めてたくさんの種類があります。がん免疫療法もその一つですが、それぞれ長所と短所があり、どのような組み合わせが一番効果的であるかが問題となります。今回、最後にお示しした「免疫逃避機構」解析から生まれたがん免疫療法が注目されている理由は、がん細胞自身が作り出す「負の環境」を改善させ治療に役立てるという点てすが、さらに特筆すべきは、従来の治療法とうまく組み合わせることで、がん細胞かなかなか免疫に反応してくれないという従来の治療法の欠点を補うことができるのではという点からも期待されているのです。