北海道喉頭摘出者福祉団体 北鈴会

札幌医大34


はじき出されるがん細胞たち


札幌医科大学医学部耳鼻咽喉科
 教授 氷見 徹夫


 松永会長をはじめとして「北鈴会」の会員の皆様による常日頃の活動には、医療関係者として感謝申し上げますとともに、今後も変わらずご指導賜りますようにお願い申し上げます。頭頚部がんに対する新しい治療法の保険適応など有用な情報も最近は聞くことができますが、もう少し未来のお話を今回はさせていただきます。

 札幌医大耳鼻咽喉科では臨床だけでなく、いろいろな基礎研究も並行して行っています。基礎研究部門ではいろいろな病気に関連する「上皮細胞」の研究も柱の一つです。体の表面は皮膚で、胃腸や肺の表面は粘膜でおおわれています。その表面はすべて「上皮細胞」に覆われています。つまり、最も外界に近いところには必ず上皮細胞があるわけです。

 「上皮」は細胞と細胞がしっかりくっついていることで、隙間のないバリアを作り外からの攻撃を防御しているのですが、この細胞同士の接着が弱くなると、いろいろな病気が起こります。皮膚の上皮細胞の接着が弱いと水分が抜けて保湿がうまくいかず皮膚がカサカサになります。それだけでなく細胞同士の接着が弱いとアレルギーの原因物質が入りやすくなリアトピー性皮膚炎になることが解っています。粘膜の上皮も同じで、接着がうまくいかないと感染症やアレルギーが起きます。つまり上皮の研究は耳鼻咽喉科の病気であるアレルギー性鼻炎や上気道炎の病気の原因解明と治療の開発に結び付く可能性があるので、私たちは意義あるものとして研究を続けているのです。

 ところで、咽頭がんや喉頭がんは咽頭・喉頭の正常上皮が癌化することで起こります。おそらくヒトの体にできる多くの癌は同様に正常の「上皮細胞」が癌化して発生します。私たち耳鼻咽喉科医は、このがんに変わった上皮細胞を体から取り除くため、患者様とともに日々奮闘しているのです。最先端の研究では正常上皮とがん細胞の性質の違いをもとにして診断や治療の開発が行われています。

 さて、私たちの研究ターゲットでもある上皮細胞とがん細胞に関するユニークな研究が日本で行われているので紹介します。この研究は北大遺伝子病制御研究所藤田教授の元で行われていますが、最終的にはがんの予防に結び付く可能性を秘めている研究として注目されています。

 自然界の動物だけでなく人間社会もお互いに生存をかけて競争し(ダーウインが述べたように)適応できた者が生き残ることになります。個体を作っている「細胞の社会」でも同様で、正常と異なった性質の細胞がある場合、競合してどちらかが排除されます。もしこの細胞が「上皮細胞」であり、「性質の異なった細胞」が癌細胞であれば、残ったほうが正常上皮細胞であれば病気としての癌は発症しないことになります。ユニ一クなのは、この現象はがん発生の「ごくごく初期」に起こる現象で、そのメカニズムは正常な細胞ががん細胞を殺すのではなく、正常の上皮細胞に挟まれたがん細胞が機械的に外に「はじき出される」ことで排除されることが解りました。この上皮細胞の免疫を介さない抗腫瘍効果の現象を藤田教授が初めて報告したのです。

 あまり気持ちの良い話ではありませんが、実は、私たちの体の中では、いつもどこかで上皮細胞からがん細胞が生まれているのだそうです。でも、すぐに病気としての癌にならないのは、前述のような正常の上皮細胞が生まれてきた癌細胞を外に「はじき出して」、がんを予防する働きがあるからと考えられています。例えば、大腸の上皮細胞の一部ががん細胞に変わっても、ごくごく初期の段階では正常な大腸の上皮にはじき出され、便の中に排出されるため「大腸がん」にはならないのです。

 さらに、最近、この正常の上皮細胞が癌細胞をはじき出す仕組みの詳細が鵬川先生の研究室で解明されました。すなわち、そのメカニズムを応用すれば「がんの予防薬」の開発に応用できるとして世界的にも高く評価され注目されている研究なのです。

 この研究はいろいろなところで大きなインパクトをもってメディァに紹介されています。藤田先生はインタビューに答えてこの研究の意味を「我々の手に負えないような極悪人が出現した際には警察が処理にあたるが、少しだけ悪い人間に対しては周りの人間がなんとか排除、あるいは矯正しようと試みる。同様に、悪性度の高い腫瘍細胞は免疫細胞という特殊な細胞が処理にあたるが、″チョイ悪″の腫瘍細胞は周りの正常細胞がなんとか対応するのではないだろうか」と表現されており、非常にわかりやすい。

 最初に紹介したように、私どもの教室は「上皮細胞」の研究を10年以上にわたって行ってきました。紹介した上皮細胞と、がん細胞の新しい関係と新しい発想から生まれた成果は各領域で応用されていくものと思われます。私共の目指すものは少し違いますが、教室の「上皮細胞」研究もがん研究に応用しています。

 今後は若い教室の医師たちの熱意によっていくつもの新しいがん研究が生まれ、近いうちに札幌医大発の新しい治療に関する研究成果が生まれることを夢見ながら筆をおくこととします。