北海道喉頭摘出者福祉団体 北鈴会

医療大学33


北鈴会の皆様へ

北海道医療大学心理科学部言語聴覚療法学科
 教授 西澤 典子


 本年は、久しぶりに4月の総会に出席させていただき、皆様の元気なお顔を拝見してうれしく存じました。また、指導員研修会にも講師としてお招きいただいておりますので、何か少しでもお役に立てるお話をさせていただきたいと思っております。

 喉頭全摘出というと、声の喪失ということがまず直感されます。しかし、喉頭の機能を考えるとき、問題はそれだけではありません。今回は喉頭を摘出することによって起こる影響を、気流経路の変化という点から考えてみたいと思います。

 喉頭摘出前では、喉頭の入り口まで、呼吸の道と食べ物の通る道が同じ場所を通っています。喉頭は食べ物が気道に入っていかないように、気道を守る役目をしています。喉頭全摘出を行うと、喉頭の機動防御機能がなくなりますので、永久気管口を前頚部に開口し、口からの道は食べ物を通すだけに使われることになります。これを気道食道分離といいます。術前、鼻腔ならびに口腔から咽頭、喉頭に連なっていた気道は、気流経路としては消失することになります。

 気道食道分離によって、咽頭、口腔に加え、鼻腔に空気が通らなくなることによって、においが分からなくなるという障害がおこります。においの感覚は、空気中に気体として漂うにおい物質が呼吸の流れにのって鼻にはいり、鼻腔の最も上に位置する嗅裂という場所に達することで感じられます。嗅裂には嗅上皮という感覚器かおり、におい物質がここに達して嗅上皮を刺激することによって脳の嗅神経に感覚を伝えます。喉頭摘出を受けない人でも、鼻つまりが起こって嗅上皮にまで気流が届かなければにおいの障害が起こりますが、この場合、鼻閉の治療によって鼻をとおる気流が回復すればにおいは回復します。喉頭摘出を行い、気道と食道が分離されると、鼻呼吸が停止しますので、鼻中隔最上部に存在する嗅上皮が気流に接しなくなり、嗅覚は消失します。しかし術後に食道音声が獲得された場合、鼻腔を通じた空気摂取が行われるため、嗅覚は回復するといわれていますが、皆さんの経験ではいかがでしょうか。

 鼻は、粘膜で空気を加湿し(ラジエター機能)、ちりやほこりを除去する(フィルタ機能)働きをもっています。喉頭全摘出後の気道は頚部の永久気管口に開いており、ここには鼻のラジエター機能、フィルタ機能かおりませんので、気道には加湿やフィルタの施されない空気が直接流れ込むことになり、気道の防御機能が低下します。このため乾燥や炎症が起こりやすくなることは、皆様が感じておられることと思います。以前は気管ロエプロンによる保護が対策の代表的なものでしたが、最近は、よく工夫されたフィルタを使うことができるようになりました。市販されているトスメディカル社の人口鼻は、シリコン製のシールを皮膚に密着させて貼付し、シールにつけられたソケッ卜に、着脱式のフィルタをはめ込んで用います。シャント発声者のためには、ふたとなる部分を指で押すことによって、発声時に気管ロヘの気流流出を止めることができるものが工夫されています。

 喉頭摘出後の気道変化による影響でもう一つ注意しなければいけないのは、息こらえ機能の喪失です。手術前の状態では、重いものを持ち上げたり、排便でいきむ必要かおるときなど、声帯の部分で息を止めます。こうすることによって、肺に取り込まれた空気を閉じ込め、腹圧がかかったり、背骨や腕に大きな力がかかったりしても、肋骨、肩甲骨から腕の部分に支えができて、動揺しなくなるので、大きな力に耐えられるのです。喉頭が摘出されると、胸郭内に取り込まれた空気を喉頭のレベルで閉じ込めることができなくなり、「息こらえ」ができなくなります。この結果、肩関節を安定させて上肢帯に力を入れることや、腹圧の維持が困難になり、重いものを持ち上げる、排便でいきむ、などの動作が困難となり、場合によっては便秘の原因になると言われています。

 今回は、喉頭摘出後の状態のうちで、こえの問題に隠れてあまり取り上げられることのない呼吸の変容が全身に及ぼす影響を考えてみました。6月の指導員研修会でもこのテーマを取り上げてみたいと思っています。