北海道喉頭摘出者福祉団体 北鈴会

札幌医大33


歯周病菌と大腸がん


札幌医科大学医学部耳鼻咽喉科
 教授 氷見 徹夫


 雑誌やテレビで「腸内細菌」の話を聞いた方も多いのではないでしょうか。腸内細菌に関する研究はこの10年で飛躍的に進歩し、いわゆる「腸内細菌叢」「腸内フローラ」のアンバランスがいろいろな病気に関与していることまで分かってきました。

 「近代細菌学の開祖」と呼ばれるコッホは炭疸菌を培養して分離し、日本でも北里柴三郎や志賀潔など有名な細菌学者はみなこの「細菌を培養」してその細菌を調べていました。このことは、「培養できない細菌」はよく解らないままになっていたことになります。

 実は現在の技術でも「培養できない細菌」は全細菌の95%以上といわれます。しかし、最近のゲノム解析を用いることで、細菌の培養によらない細菌同定・分析法が進んできました。たくさんの細菌が共存している「腸」の細菌叢は培養法での解析はほとんど不可能だったのですがで、このゲノムの解析で初めてその全貌が明らかになりました。研究成果により「腸内細菌の新しい顔」がわかり、さらに、腸内細菌のバランスが健康や病気にどのようにかかわっているかがわかってきたのです。

 腸内細菌のアンバランスはいろいろな病気と関連していますが、プロバイオティクスという言葉に代表されるように、腸内細菌を整えることが病気の予防や治療に役立つことはいろいろな乳酸菌、ヨーグルトの効果からもわかると思います。

 腸内細菌を利用した治療法としてユニークなのは、慢性の炎症性腸疾患に対する「細菌移植(便細菌移植)」です。細菌叢のバランスが崩れた慢性腸疾患の患者さんの腸へ、正常に人の便の細菌を移植すると症状が改善するのです。この治療法は腸内の細菌のバランスを是正することが病気の回復につながることの代表的な例です。さらに、糖尿病や肥満、アレルギーなどにも腸内細菌のバランスと関連があることが解明され、腸内細菌をどのように変化させることが治療に結び付くかが精力的に研究されています。

 そのなかで、がんとの関連で注目されているのはフソバクテリウムという腸内細菌と大腸がんの関係です。実はこのフソバクテリウムは正常の腸ではごくマイナーな存在です。なぜなら、この菌は口の中の歯垢に棲んでいて、歯周病の原因菌のひとつであるというのが定説だったからです。つまり腸にあまりいないはずの「虫歯の菌」が大腸がんと関連していたのです。

 思いがけない菌の存在ががんと関連しているという驚きと、「ピロリ菌」に似ているのでは?との印象を持った研究者は多く、精力的に研究が進みました。

 この菌のがんとの関連の仮説として、@フソバクテリウムが大腸がんの発症や増殖に関わっている、A大腸がん病変部ヘフソバクテリウムがやって来てそこで増殖している、のいずれかであろうと提唱されています。もし@が真実であるとすれば、フソバクテリウムを除菌する事によって大腸がん発症の予防ができることになります。現在広く行われているピロリ菌除菌による胃がんの予防と同じように……。

 この菌を含めた細菌やウイルスと登がんとの関連は古くから知られており、C型肝炎ウイルス感染と肝臓がん、ヒトパピローマウイルス感染と子宮類がんや中咽頭がん、ヘリコバクター・ピロリ(ピロリ菌)感染と胃がん、住血吸虫感染と膀胱がんなどで、ここにフソバクテリウムが新たに加わることになるかもしれないと、現在も研究が続いています。

 ところが、今年になってAの仮説を支持する論文が出てきました。このフソバクテリウムという細菌がたくさんいる大腸がんと、菌が少ないがん組織を比べると、たくさん細菌がいるほうががんを抑制する作用が強いという意外な結果が報告されました。ピロリ菌のようにがんを発症させるのではなく、この菌は「がんを直そうとして大腸がんに集まってきている」のではないか?という説が提唱されました。つまり、この説が正しければ、除菌することはよくないことになってしまいます。

 まだ結論が出されているわけではないのですが、疫病の流行を解明するための細菌学が生まれ、「細菌が疫病の原因」として人類は戦ってきた。ところが、研究が進むと細菌が体の中にいることが健康のために重要であり、さらに、「体の中の細菌のバランスが崩れると病気を引き起こす」ことが分かり、がんにも関連していることが分かってきました。

 ただ、「腸内細菌には善玉菌と悪玉菌かおる」ように、がんに対してもがんを作る「悪玉菌」とがんを抑える「善玉菌」があるのではないか?ということが最近提唱されています。この地上の万物には必ず「二面性」があるということでしょうか。この二面性をうまく制御できなければ、病気を制圧することができないのかもしれません。