北海道喉頭摘出者福祉団体 北鈴会

北大西澤38


無喉頭音声研究の歩み ―退職にあたり、感謝を込めて−


北海道大学病院耳鼻咽喉科・頭頸部外科
 客員臨床教授 西 澤 典 子


 感染症が収束を見せない中、会員の皆様とお会いする機会がなくなり、寂しく思っております。発声教室も、まだ再開の見込みが立っていないように伺っております。それでもこの度、北の鈴の復刊が決まり、寄稿のご連絡をいただきまして、本当にうれしく存じました。皆様お元気でお過ごしでしょうか。

 私は2021年3月をもって、北海道医療大学を定年退職いたしました。今後は北海道大学病院の非常勤として、今しばらく診療を続けさせていただく予定です。皆様とのお付き合いも変わらずにさせていただければありがたく存じます。そんなわけですので、今回は私が北海道で無喉頭音声の研究を始めたころのお話をすこしさせてください。

 私は、1980年に北海道大学医学部を卒業したのち、発声と発音に関する研究(音声言語医学)を学ぶために、北大耳鼻科から国内留学というかたちで東京大学医学部付属音声言語医学研究施設に10年近くお世話になりました。東大での勉強を1991年に切り上げて、わたくしは北海道に戻ってまいりました。

 母校である北海道大学の耳鼻咽喉科に所属し、音声の専門外来を始めたわけです。そこで当時の大山教授に与えられたテーマが「無喉頭音声の発声機構」というものでした。喉頭発声では、声の高さをかえるとか、有声音無声音を出し分けるとかいうことは、喉頭に付属する筋肉をコンマ何秒という微妙なタイミングで調節することで成り立っている。ところが、喉頭を摘出した人たちの中にも、きれいに有声音無声音を出し分けていたり、時には正確な音程で歌を歌ったりする人たちがいることが知られていました。しかしそれがどのような仕組みで成り立っているのか、わかっていなかったのです。

 私は、今まで勉強してきた喉頭発声研究に使われる手法を適用したら、無喉頭音声の調節機構を解明できるのではないかと思いました。北大耳鼻科では、聴覚などの研究に使っていた計測器を貸してくださるなどの援助を惜しみなくしてくださいましたが、さすがに非常勤で研究費を取得しているわけでもない私には、新しい機材を買うことができませんでした。そこで私は、自分のアイディアを売り込みに、ほかの研究室を訪ねました。お尋ねしたのは、北大の電子科学研究所、伊福部達教授の研究室で、人工内耳の基礎研究などで以前から耳鼻科とお付き合いがありました。ちなみに伊福部教授は映画「ゴジラ」の音楽を担当した伊福部昭先生の甥ごさんにあたり、教室にはゴジラのポスターが飾ってありましたっけ。

 予約もなしにお尋ねした教室に教授はおられませんで、当時助教授であられた高橋誠先生が話を聞いてくださいました。私は、ずいぶん熱っぽく、自分の計画を語ったんだと思います。まだ何も結果は出ていなかったのですが。「20万円の圧アンプがなければシステムが完成しません。ご協力いただけないでしょうか。」と申し上げると、即答で「わかりました。私の研究費で買いましょう」とおっしゃる。こっちのほうがびっくりしてしまって、「あの、わたくしは耳鼻科の医局員ですが、なんの地位も力もありません。いままでのお付き合いで協力してくださるのであれば、わたくしは何もお返しができません」と言いました。すると、先生はこうおっしゃったのです。

 「耳鼻科との貸し借りで協力するわけではありません。あなたのプランは実現できると思うから私は協力します。」そして、高橋先生と、教室のプログラマー、工学者を目指す学生さんたちの協力をいただいて、研究が始まりました。この研究でもう一つ、被験者として、決して楽ではない検査に協力してくださった北鈴会会員の患者さんたちも忘れることができません。みなさんは、「私たちの体で今後の喉頭摘出者のに立つことがわかるなら、どうぞ使ってください一と、惜しまずに協力をしてくださいました。

 それから10年ほどの間に、たくさんの人たちに助けられながら、いろいるな視点で無喉頭音声を研究することができました。細かいことは省きますけれども、私が患者さんと一緒に進めてきた研究は、その後の無喉頭音声習得のための理論的な基礎を構築するためにいくつかの重要な情報を提供できたと思っています。さらに私の学友たちは研究を進め、携帯用拡声器のためのマイクロホンや、ハンズフリーで使える電気喉頭の開発などに様々なアイディアを提供しています。

 以上は私が北海道医療大学で3月に行った最終講義の一部なのですが、ここで私は最後にこんなことを申しました。

 「音声言語障害の専門医として生きてきた時間を駆け足で振り返ってみると、 つくづく、私は、恩師、学友にそして患者さんに恵まれ、助けられてまいりました。このようにたくさんの素晴らしい方たちと出会えたのは、私の運がよかったということももちろんあるのでしょうが、最終講義なので少し、説教臭いことをいわせてもらうと、私が神様から頂いたような素晴らしい出会いといヶのは、おおむね誰の人生にむ用意されているのではないかと思います。ただ、私は、これは手放してはいけない、というご縁を見極めるのがうまかった、そしてそれをがっちりつかんで大切に育ててきた結果、このような幸せな時を迎えられたのではないかと思っています。いままで私を指導し、私とともに歩んでくださったたくさんの方々に心より御礼を申し上げたいと思います。」

 北鈴会の皆様とは、これからも末水くお付き合いをさせていただければと思いますし、もう引退してしまった私ですが、少しでも皆様のお役に立つことがあれば、お手伝いをさせていただきたいと思っています。

 コロナは必ず終息するでしょう。その時を楽しみに、皆様どうぞご健康に気を付けて、お元気でお過ごしください。